よくあるご質問(FAQ)

「定番 HONMOKU GANG」は、どのようなレプリカですか?

「定番 HONMOKU GANG」は、1987年当時から毎期毎に生地や縫製やロゴのアップデートを重ね「現時点で一番カッコよく見える小池」を目指したレプリカです。つまり「デートやお出かけにも着用できる小池レプリカ」という位置付けです。着用するとスタイリッシュに映えて気分もアガりますので、当時の(横浜ロケ終了後の)藤竜也氏のようにお気に入りの女の子と中華街(菜香飯店)や、山下町(デリカート既閉店)鎌倉(珊瑚礁)や自由ヶ丘等でカッコよくお忍びデートをキメて写真週刊誌に狙われてください。

「リアル HONMOKU GANG」は、どのようなレプリカですか?

「リアル HONMOKU GANG」は「ベイシティ刑事」がオンエアされた1987年当時のロゴ配列、アナログな時代性や空気感を再構築したレプリカです。このレトロな小池MA-1を着用すれば、いきなり1987年秋、バブル絶頂期のヨコハマにタイムスリップして、若く青二才だった当時の自身や小池と対峙します。これは「変身ベルト」的なコレクターズアイテムです。あの時代、小池とハマとバブルに飲み込まれたすべての同胞へ。

「水原ブルゾン」「小池MA-1」オンエアTV画面とロケ時着用実物との相違点は?

1981年当時は、Kodak、FUJIの16ミリと35ミリフィルム撮影+アナログ波+ブラウン管テレビでのドラマ視聴でした。水原「YOKOHAMA MY SOUL TOWN」ロゴは、オンエアされたブラウン管の画面からは「晩夏型(Fタイプ)」のように視えましたが、現場で撮影されていた着用現物のロゴは「中期型(Cタイプ)」と「後期型(Dタイプ)Cタイプの修正版」が主でした。つまり「晩夏型(Fタイプ)」は、オンエアされたTV画面に則って作製した、いわばTV画面からのリアルレプリカとなります。16ミリと35ミリフィルム撮影の当時は、現在のHD撮影+デジタル波+液晶ディスプレイ視聴では起こり得ないような現象、珍事象が多々ありました。

ちなみに「ベイシティ刑事」の小池MA-1もアナログTVの画面ではかなりピカピカ光って視えますが、着用していた小池MA-1実物にさほど光沢はありませんでした。

なぜ、80年代の藤竜也氏のアクション作品にこだわるのですか?

この時代(1976年~2005年)に藤竜也氏の所属事務所マネージャーだった「オフィスA.T代表、故・高須透夫氏がプロデュースした藤竜也氏」は、その時代や世相に絶妙にマッチした特異なカリスマ性、ダンディさタフさキザさが魅力で当時の老若男女はその藤竜也氏のカッコよすぎる強烈な存在感にひたすら憧れ熱狂、フィーバーしました。まさしく「プロハンター」オンエアの1981年から「友よ、静かに瞑れ」公開の1985年までが、故・高須透夫氏のプロデュースした藤竜也氏の最大の人気のピーク時、絶頂期であり「ベイシティ刑事」オンエアの1987年頃には藤竜也氏熱狂ムーブメントは沈静化へと向かってました。当時、故・高須透夫氏がプロデュースして創り出した藤竜也氏のキャラクター像があまりにも魅力的過ぎたため、弊社は今もこの時代の藤竜也氏の強烈なカッコよさ、地元ヨコハマに馴染んだキャラクター像に拘ってフォーカスし続けています。

1.当時、藤竜也氏の神々しいカッコよさをフューチャーし、熱狂させてくれた、旧事務所代表兼マネ―ジャー、故・高須透夫氏。
2.常に藤竜也氏にマッチした素晴らしいプログラムピクチュアをプロデュースし、破格のギャラを実現してくれた、セントラルアーツ代表、故・黒澤満氏。
3.この時代の藤竜也氏のアクション全てにカッコいい技斗をつけた職人殺陣師(アクションコレオグラファー)、故・國井正廣氏。
4.藤竜也氏出演作(火曜サスペンス劇場「女の中の迷路」)が遺作となった、故・西村潔監督(大追跡/殺し屋)。
5.「愛のコリーダ」ではチーフ助監督、そして藤竜也氏の超絶絶頂期(`85年)に角川映画を監督した、故・崔洋一監督(友よ、静かに瞑れ)
6.いつも陰から、藤竜也氏やブレーンのケツ持ち、後方支援をしてくれた、故・阿部時雄氏(夢時)。
7.藤竜也氏にアテ描きしたホンや監督作品全てが粋で絶妙で秀逸なレジェンドシナリオライター、柏原寛司氏。

藤竜也氏のキャラクター像に強烈な色、熱、温度を添えた、この素晴らしいお7人方に特に敬意と感謝を込めて。