「水原 淳」「新藤 剛」「小池 柾」へのオマージュ

1981年「水原 淳」~高みへ~

‘81年夏、幾多の観光ムーブメントを経て
バブル前夜に沸く浮かれたヨコハマの街で
眩い柑橘系ブルゾンを海風にハタハタさせて
ひたすらCOOLに駆け抜けた水原淳(藤竜也)

あの夏のハマの空気感と
碧い海、街(TOWN)の佇まい
藤竜也演じる「水原」のカッコよさは
ただただ別格、神懸っていた

そんな、カッコよすぎる水原に憧れて
ヨコハマに飲みこまれた夏から40年超
あの晩夏のハマと海風と
水原の情景は永遠のリスペクト

「大人になったら水原になりたい」
ロケ現場で見たあの日の強烈な憧れと
ハマに飲みこまれた夏をレプリカに込めた

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1985年「新藤 剛」~頂点~

`85年3月、藤竜也氏の超絶絶頂期(←ここが全てのピーク)
そして、藤竜也ハードボイルドアクションの最高峰
「友よ、静かに瞑れ」名護市辺野古区長期ロケ
緊張感に満ちたファーストカット、車の走り、海中道路

藤竜也演じる「新藤 剛」の気怠く投げやりな切り口に触れ、
旧友、坂口(林隆三)の息子「竜太(六浦誠)」に
藤竜也氏の愛息の姿が、そのままに重なって見えた

沖縄東海岸で、新しいバイブルとしてトレースしたのは、
新藤が走り抜けた辺野古社交街(Schwab street)と
4Pタコスの味と329号線旧道

ハマも、南の島も、藤竜也が全力で駆け抜け、
ハードボイルドの流儀は無視し、やりたい放題の限りを尽くし
無言で去って行ったのは、ゆるい潮風が吹きつける、
太平洋と星条旗に浸食された、基地の街だった

恋もお金も仕事もギャラも全て順風満帆、自由自在、
全てが思いのまま、

家屋は高級輸入住宅に建て替わり、
メルセデスを1年に2台乗り換えた、
この時、藤竜也氏は、屈指の大スターだった
誰も藤竜也スーパーフィーバーの流れを止められない

しかしこの後、藤竜也スーパーフィーバーは劇的に衰退していく

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1987年「小池 柾」~翳り~

‘87年12月末

「ベイシティ刑事」撮影折り返しの東高島駅ロケ

キラキラ輝く冬の運河を眩しそうに見つめながら藤竜也氏がポツリと言った

「春からの(ベイシティ刑事の)後番組は、藤田まことさん(主演)だって」

「ドンパチ無し、人情ものの刑事ドラマ(はぐれ刑事、純情派)だって」

「オレは、いつもの調子でドンパチやり過ぎてベイシティでコケた、へへっ」

晴天の霹靂、まさか、藤竜也氏本人からのいきなりのカミングアウト=敗北宣言だった

確かに「ベイシティ刑事」の視聴率は振るってなかった

この時、藤竜也氏は「ベイシティ刑事」の座長で「画面の中の小池」のように超自信家で超自己中だった
(「ベイシティ刑事」劇中のスタッフ、キャスティング等は、ほぼ藤竜也氏の意向が加味、忖度、推されていた)

劇中、画面の中では「小池刑事」がオレンジ面のMA-1を海風にハタハタさせて
ハマの街をファインに駆け抜けて、強引に難事件を解決しているが
現実問題、視聴率はどうにも解決できない
超ブレイクしていた「藤竜也スーパーフィーバー」についに終焉が訪れた

「ベイシティ刑事」撮了直後に撮った本編「ブレイクアウト」(ロッポニカ)も数字的に振るわなかった


本放送当時から弊社で販売している「小池レプリカ」は、‘87年のハマの空気感や小池のカッコよさだけでなく、
「驕りはないか?」「やりすぎてないか?」「これで本当にOKか?」
と、ハマで調子に乗って飛ばし過ぎた自身を顧みた、自戒の念、白旗の揚げ方、引き際の美学をも込めて作製している

※‘88年以降、藤竜也氏はドラマの中でハマのロゴ入り柑橘系ブルゾンを着ていない
(‘89年「湘南物語」劇中着用ブルゾンはドラマ協賛メーカー品)


AKIRA ISHIGURO(製作責任者)

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